2017-06-15 第193回国会 参議院 法務委員会 第19号
その二年後にできて、不平等条約の是正、これがやっと成り立ったのもペリーが来て日米修好通商条約を結んでから五十七年後だったですか、その明治四十年になって初めて関税自主権あるいは治外法権、こういうのがやっと是正されるというようになった。そういう時代にできた刑法といったようなところとの比較で申し上げたかったということでございまして、もし表現が悪ければ訂正させていただきたいと思います。
その二年後にできて、不平等条約の是正、これがやっと成り立ったのもペリーが来て日米修好通商条約を結んでから五十七年後だったですか、その明治四十年になって初めて関税自主権あるいは治外法権、こういうのがやっと是正されるというようになった。そういう時代にできた刑法といったようなところとの比較で申し上げたかったということでございまして、もし表現が悪ければ訂正させていただきたいと思います。
当時の日本は、一八五四年に日米和親条約を結び、一八五八年七月、米国との間に江戸幕府が、日本を代表する政府として日米修好通商条約を結んでいます。間違いなく、江戸幕府を日本国政府の代表として条約を結び、琉球国を琉球国の政府の代表として条約を結んでいる事実が残されているわけですね。
また、お尋ねの日米修好通商条約については、国際法上の主体の間において締結され、国際法によって規律される国際的な合意であるという意味において、我が国と米国との間で締結された国際約束であると考えております。
先日見ていただいたものの写真つきのものでございまして、最初のページに日米修好通商条約、古いものから始まりまして、ナポレオン三世の国書ですとか、日清修好条規、日墨修好通商条約、パリ講和会議の写真ですとか、一連の歴史文書がずっとあるものでございます。こういう形で展示も行っております。
幕末から明治にかけて、黒船から始まった開国のとき、このときに、一八五八年、日米修好通商条約が結ばれたんですが、アメリカから入ってくる輸入関税はゼロだったんです。逆に、日本からアメリカへ輸出する物品は高い関税が課せられるという不平等な状態がありました。関税自主権を取り戻すのは一九一一年ですから、五十三年かかったんですよ。
幕末の不平等条約も何年もかかって、アメリカとのことでいったら、日米修好通商条約ですか、それを日米通商航海条約にするには何年もかかっているわけです。ですから、大変だろうと思いますけれども。地位協定上、日本には負担する義務はなしで枠内でとか言っていた。ましだと思います。特別協定をつくってやり始めたわけですけれども、やはりこれは野方図過ぎたんじゃないかと思います。
そのぐらい長い間の話だったんですが、日本とアメリカが日米修好通商条約を結んだのが一八五八年、今から百四十六年前になります。日本とアメリカの通商貿易の歴史の中で、このアンチダンピング法は八十八年間も続いてきてしまったということになります。
また五十八年度には、横浜発祥の地とも言える日米修好通商条約の締結された場所にポケットパークとして開港広場というものを整備をしております。これは横浜の大桟橋の入口に当たるところでございます。 それから、「地域参加によるまちづくりの推進」、これは既成市街地の再整備に当たりましては特に多くの方々の合意形成が必要である。
○説明員(長尾立子君) 在日アメリカ人につきましては、日米修好条約におきまして、強制的な保険に関しましては、その両国間において最恵国待遇、つまり同国人と同じ扱いをするということが国民年金法施行前に結ばれておりまして、この観点から言いますと、国民年金につきましても強制適用になるという解釈がとられておるわけでございます。これはある意味では二国間協定という形になっておるわけでございます。
質問に先立ちまして、このたび天皇、皇后両陛下におかれては、日米修好史上初めて御訪米され、友好親善の大任を果たされて、つつがなく御帰国になられましたことに対しお喜びを申し上げる次第であります。(拍手) なお、アメリカ上下両院においては、天皇御訪米中は日米友好デーとするという決議を採択されるとともに、フォード大統領を初めとし、朝野を挙げて御歓迎をいただいたことを深く感謝申し上げる次第でございます。
天皇、皇后両陛下におかれましては、このたびアメリカ大統領の招きにより御訪米されることになりましたが、両陛下の御訪米は日米修好史上初めてのことであり、日米友好親善の上からもきわめて意義深いものと存じます。ここに、両陛下の御旅行中の御平安を心から祈念する次第であります。(拍手) 〔議長退席、副議長着席〕 さて、第一にお伺いいたしたいのは、総理の政治姿勢についてであります。
昨年は、日米修好百年余にして初めて現職大統領を迎えるなど、日米の友好関係が増進を続けている現状は、まことに好ましいことだと言わざるを得ません。 他方、日ソ両国関係は、鳩山内閣当時平和宣言を採択して以来十八年、相互の信頼関係は大きな前進を見ましたが、しかし、いまだに平和条約の締結を見ていないことは、はなはだ遺憾であります。
先般は百年余の日米修好史上、初めて現職大統領としてフォード大統領が来日され、両国関係を一そう発展させるための共同声明が発表されました。私はその精神を忠実に履行する決意であります。 しかし、日米友好関係の維持発展を重視するからといって、それは決して他の国々との関係をおろそかにすることを意味するものではありません。
先般は、百年余の日米修好史上初めて現職の大統領としてフォード大統領が訪日され、両国関係を一そう発展させるための共同声明が発表されました。私はその精神を忠実に履行する決意であります。 しかし、日米友好関係の維持発展を重視するからといって、それは決して他の国々との関係をおろそかにすることを意味するものではありません。
かかる返還協定が、「日米修好百年の歴史に、さらに輝かしい一ページを書き加える」という総理のことばは、いかなる思考方法から出たのか疑問であります。 以上に述べたごとく、日本の危険負担と、さらに言うならば、核撤去の負担はその内容が明確になされないままの状態でいまこの協定が成立をされようとしております。
初めに、総理にお伺いをしたいわけでございますが、先ほども答弁があったわけでございますけれども、総理は施政方針演説の中で、「沖繩が核抜き本土並みで返還されることは、アジアの緊張を緩和するのみならず、日米修好百年の歴史に、さらに輝かしい一ページを書き加えるものであります。」
第三点は、「沖繩が核抜き本土並みで返還されることは、アジアの緊張を緩和するのみならず、日米修好百年の歴史に、さらに輝かしい一ページを書き加えるもの」である。第四点は、沖繩百万の県民に対し、さきの戦争においては、全島あげて祖国防衛の第一線に殉じ、戦後は二十余年にわたって外国の施政権下に置かれてきた御苦労に言うべきことばもない。
(拍手) 総理は、所信表明演説におきまして、「沖繩問題は、日米間の友好と信頼のきずなのもとに、戦争で失った領土を平和裏に話し合いで回復するという、とれまでの歴史にない最も好ましい解決を見ることになり、日米修好百年の歴史に、さらに輝かしい一ページを書き加えることになった」と述べられました。
すでに日本は明治初年度において、日米修好通商条約のごとき幾つかの不平等条約を結ばざるを得なかった。そのときにそれを守った人たちが、国際信義を守るについてよかったなどと国内で発言したかどうか、私は考えていただきたいと思うのであります。国民あげてこの問題を何とかしょう、何とかこの不当性を除去しようとしてがんばっておったんだと私は思います。
沖繩が核抜き本土並みで返還されることは、アジアの緊張を緩和するのみならず、日米修好百年の歴史に、さらに輝かしい一ページを書き加えるものであります。 この際あらためて、私は、これまでことばに尽くしがたい辛酸をなめてこられた沖繩百万の県民に対し、全国民とともに、衷心よりその御労苦をねぎらうものであります。
(拍手)沖繩が核抜き本土並みで返還されることは、アジアの緊張を緩和するのみならず、日米修好百年の歴史に、さらに輝かしい一ページを書き加えるものであります。(拍手) この際あらためて、私は、これまでことばに尽くしがたい辛酸をなめてこられた沖繩百万の県民に対し、全国民とともに、衷心よりその御労苦をねぎらうものであります。